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2014年6月27日 (金)

元八王子の宿跡を彷徨う(4)

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天正十八年(1590)六月二十三日の、八王子城攻めで、

焼き払われた八日市庭であったが、市の核心部を為していた、

市神の住吉明神と薬師堂は、幸い現存するに至っている。

つまり、今でも、中世世界の、市庭の痕跡を、

具体的に、辿ることが出来るわけなのだ。

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境内の腐朽しかかった古木。四五百年はありそうだが、

これも大事な、市庭の生き証人と謂っていい。

もとより、人が植えたものだ。

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江戸期の写本に「商人の巻物」と呼ぶものがある。

中世に「連雀商人」を生業としていた商家に伝わった、

「由緒書」で、史料価値としては「偽文書」に近いのだが、

記されている、商人たちの仕来りが興味深く、無視出来ない。

その中に、「宿と市庭の立て方」と云うのが出て来る。

即ち、道に沿って、両側に店を配置し、上宿、下宿に分け、

中心(道の真中)に市神=住吉明神、

あるいは、阿弥陀仏か薬師如来を祀る。

前後には、鳥居(木戸)を立て、出入り口を設け、

注連縄を張って、結界を廻らす。

全ての事業計画は「蓮雀衆」(連雀商人の座)が取り仕切り、

一連の宗教儀礼は山伏が行う。

阿弥陀仏と薬師如来を祀るのは、店の軒数を、

上宿に四十八軒(阿弥陀仏の四十八願を意味する)

下宿に十二軒(薬師如来の十二大願を意味する)

都合、六十軒とする為である。

この他、事細かな作法が列挙されているのだが、

別の機会に譲る。

中世世界の、諸国の宿と市庭に、こういった計画性が、

窺えるのは、疑えないであろう。

とまれ、住吉社、阿弥陀堂、薬師堂が集まる地域は、

中世の宿か、市庭跡の可能性が高いと云うことだ。

(捨身 Canon G1X)

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