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2014年7月 6日 (日)

元八王子の宿跡を彷徨う(12)

B14070502

小田原北条氏の治世下、繁栄を謳歌した八日市庭と宿だったが、

既述の如く、天正十八年(1590)六月二十三日の秀吉方による、

八王子城攻めで、焼亡するに至る。

でも、おそらく、河原者の宿のほうは、焼け残ったのではないか。

同年八月一日、家康の関東入府を迎える。

北条氏が造り上げた領国体制は、優れたものだったので、

ほぼ、その枠組みは、受け継がれたようだ。

江戸、川越、小田原など、旧北条氏の諸城が、引き続き、

拠点として使われ、城下の宿、市庭も存続していた。

その中で、江戸城下の宿に居たらしい、後の弾左衛門の先祖が、

家康に取り立てられ、関八州の穢多、河原者、非人頭として、

頭角を現して往くことになる。

八王子城は廃城となったが、南西側に甲州道中が整備され、

新たに、現在の八王子宿が立てられた。

計画の全てを立案したのは、家康の寵臣、大久保長安である。

彼は、奈良春日社に属する、大和猿楽の金春流、大蔵氏の、

猿楽師の出ながら、武田信玄に財務能力で重用され、

武田家滅亡後は、家康にも見出されたわけだ。

戦国期、猿楽各座は、パトロンを求めて、諸国を流浪していた。

大蔵家も、旅の途上、武田家に寄宿し、拾われたのだろう。

そんなキャリアのせいで、彼は、様々な芸能者、道々の輩と、

昵懇だったらしく、もとより河原者も、仲間内に入ったから、

河原の宿々を、篤く保護したと想われるのだ。

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(捨身 Canon G1X)

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