« 雨降山考(12) | トップページ | 「船鉾」復活のこと »

2014年7月24日 (木)

雨降山考(13)

B14072301

積乱雲は、ますます発達しているように観える。

気になるけど、とりあえず先へ進もう。

B14072302

阿夫利神社本殿。もとより新しいもので、現在の形になったのは、

明治の廃仏毀釈、神仏分離以後のことだ。

それまでは、既述のように、大山寺の不動堂が在った。

往時の、大山の中心は、この不動堂で、

謂うまでもなく、本尊は不動明王である。

何故、不動明王なのか。そして、何故、阿夫利神社になったのか。

B14072303

神仏分離以降、祭神は、大山祇神ほか、三神とされた。

近代になって、記紀神話、風土記、延喜式などを元に、

現地の伝承を加味して、それらしく、付会されたもので、

あまり参考にならない。

名称も、既に延喜式の神名帳に載っていた「阿夫利社」から、

あらためて、採られたようだ。

ついでながら、このような「復古調」は、

各地の神社に観られるので、注意する必要がある。

B14072304

中世世界では、修験者たちの手によって、

山内に、多数の摂社が建立されたが、

「阿夫利社」の神体だけは、山頂の磐座に由来すると云われ、

「石尊権現」と呼んだ。

まさに「石神信仰」の古態を示して居たわけだ。

(捨身 Canon S110)

|

« 雨降山考(12) | トップページ | 「船鉾」復活のこと »

民俗」カテゴリの記事

コメント

調べましたら、山頂からは須恵器や土師器、縄文後期の土器の破片が出ているのですね。神社の期限を考えるうえで大変興味深いです。

投稿: tae | 2014年7月24日 (木) 00時05分

神社の社殿や縁起は後付けと考えるべきなんでしょうね。多くの場合は、その背後に磐座祭祀があって縄文まで遡るんじゃないでしょうか。そこに地元の固有信仰があるのでしょう。大三島の大山祇神社も背後に岩山の鷲カ頭山がありました。尾道の千光寺は巨石群の塊だったですし、三原の新高山も。

投稿: 振り子 | 2014年7月24日 (木) 07時47分

taeさま
実は、数時間しか居られなかったので、山頂まで往けなかったのです。まぁ、南関東の夏の山は、暑さが厳しいから仕方ありませんね。涼しくなったら、磐座を確かめに往きましょうか…??

投稿: kansuke | 2014年7月24日 (木) 20時32分

振り子さま
修験の歴史を持つ山は、何処も信仰形態に共通性がありますね。神仏分離で大山祇神を祀るようになるところも…磐座も、石神も、石にプリミティブな霊力を見出すものですが、非常な広がりを感じます。道祖神、賽の神まで含めて、もう一寸掘り下げてみたいです。

投稿: kansuke | 2014年7月24日 (木) 20時40分

かんすけ様、無理なさらずに。山頂の縄文の遺物は、どうもその中世世界の修験者たちによって埋められた可能性が高いみたいですね。(地層の分析から)大山ふもとの比比多神社のほうは間違いなく縄文時代の祭祀遺跡が起源だそうですが。岡谷公二の著書に両社のことが書いてありました。

投稿: tae | 2014年7月25日 (金) 19時54分

taeさま
なるほど、山伏たちなら、やりかねないかもしれませんね。狂言でも「柿山伏」があるくらいですから。

投稿: kansuke | 2014年7月25日 (金) 22時32分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 雨降山考(12) | トップページ | 「船鉾」復活のこと »