« 雨降山考(7) | トップページ | 雨降山考(9) »

2014年7月19日 (土)

雨降山考(8)

B14071801

他の霊山と同様、この山は死者の霊が集まる場所だった。

麓の相模川中流域に、こんな風習が伝わっている。

「百ヶ日供養」あるいは「茶湯供養」と呼ぶ。

即ち、死後、百日か百一日目に、遺族が大山の来迎院へ登り、

読経、供物を捧げ、茶葉を浮かべた湯を供える。

死者には、死後百日の間は、水のみを供え、百ヶ日が明けると、

初めて、茶を供えられるからである。

B14071802

死者は、四十九日まで、その家の棟木の下に留まり、

五十日になると、冥界へ旅立つ。

旅の間、四十九日法要で供えられる、四十九個の餅を弁当にし、

朝夕仏壇に供えられた水を飲む。

そして、百日ヶ目に、極楽の門に辿り着くと云う。

大山々中の来迎院が、極楽の入り口に見立てられたわけだ。

B14071803

明治の廃仏毀釈で、来迎院での「百ヶ日供養」は途絶えてしまう。

しかし、こま参道脇の、浄土宗寺院「茶湯寺」に受け継がれ、

今日に至っているそうだ。

心優しい伝承があった。

この供養に赴く途中、死者と生き写しの人に、

往き逢えると云うのだ。その為に、生前の好物を用意して置き、

死者と似た人に手渡すとも。

そう謂えば、筆者も、幼少の頃、横浜・金沢の村墓地で、

往き逢った母娘に、同じ事を言われ、

両手に一杯の菓子をもらったのを想い出した。

(捨身 Canon S110)

|

« 雨降山考(7) | トップページ | 雨降山考(9) »

民俗」カテゴリの記事

コメント

ここは他界への入り口なのですね。百カ日供養といい、死者に似た人に往き逢える話といい、明治の廃仏毀釈でも失われることのなかった、庶民の素朴な信仰が残っていることが気持ちを温かく豊かにしてくれますね。

投稿: tae | 2014年7月18日 (金) 22時43分

ほんとに心に響く信仰の原点ですね。「弔う」とはこういうことなのでしょう。で、この漢字が気になって軽くググると、棒に長いひものようなものが巻きついている状態を現わし、恵みを垂れるという意味があるとありました。
大山の風習には、この「恵み」があふれていたのですね。大切に伝えていきたいものです。

投稿: 糸でんわ | 2014年7月19日 (土) 07時11分

taeさま
現在の大山は、一見殆ど往時の遺物は残っていないのですが、よくよく凝らして観ると、魅かれるものに満ちていますね。もとより、一回の探索では足りません。昔の民衆が持っていた温かさが実感出来ました。

投稿: kansuke | 2014年7月19日 (土) 21時34分

糸でんわさま
かつては、誰でもが持っていた死者への優しさを感じられ、実にほっとするような伝承でしたね。私も、幼少期に同じような経験があったのを、久しぶりに想い出させてくれました。

投稿: kansuke | 2014年7月19日 (土) 21時41分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 雨降山考(7) | トップページ | 雨降山考(9) »