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2014年7月 3日 (木)

元八王子の宿跡を彷徨う(9)

B14070201

今、当地のことを、どう書き出したらよいか迷っている。

残念だけれど、今日に至るまで、難しい問題の儘だからだ。

でも、出来るだけ、中世史を学ぶ者の、

端くれとして、立場を外さずに、始めるしかない。

戦国期、小田原北条氏の領国では、本城=小田原を始め、

後の「近世城下町の萌芽」と考えられる、

(敢えて、筆者は城下町と云う用語は使わない)

都市的な場を、核となる各支城の膝元に発達させた。

伊豆・韮山、武州・小机、鉢形、川越、江戸…

そして、八王子である。

必ず、重要な街道と、水運(河川か内湾)に沿わせて、

市庭と宿(これも、近世の宿とは区別する)が置かれた。

もう一寸前の時代なら、既に在った都市的な場に、

吸い寄せられるが如く、領主たちが居館を建てたと想う。

戦国期に入ると、今度は、領主側が主体的、積極的に、

計画開発して、居館近くに誘致するようになったのだ。

八王子城にとっての、ここ八日市庭も、

そんな経緯を経て、生まれたと謂っていい。

B14070103

多くの商人、職人、宗教者、芸能者たち、

=「道々の輩」が集められた。

まず、諸国を自由に廻る、山伏、御師、時衆、猿楽能たちは、

諜報活動に持って来いだった。

武具甲冑、刀剣、馬具製造に関わる衆(軍需産業だ)は、

とりわけ重視されたであろう。

主な原材料となる、牛馬鹿革の加工技術を持つ、

「皮多」(かわた)と云われた「河原者」も、

直接支配されたことを示す、文書が残っている。

彼らは、宿、市庭最寄の「河原」に集住させられた。

中世も後期に入ると、京の「鴨の河原」の先例に習って、

「河原者」に対する卑賤視の風も、

固まり、強まってきたのは否めない。

当時の「河原」とは、決まって水害に遭う悪所、全般を呼んだ。

水が全ての「穢れ」を流してくれると云うわけだ。

既述のように、八日市庭は扇状地で、大小の河川が流れ、

常に水害に見舞われる「河原」には事欠か無かった。

B14070202

(捨身 Canon G1X)

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