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2014年8月27日 (水)

江の島に至る(14)

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南側の海岸に下りてきた。

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この荒涼感は、

此の世と彼の世の境界=「河原」と通じるものがあるな。

箱根山中の「地獄」とか「賽の河原」を想い出した。

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中世世界の「江の島・三坊」の話を続ける。

実は、鎌倉期に「三坊」が在ったと云う記録はない。

鶴岡八幡宮寺の供僧が兼務した、一人の、

金亀山与願寺(江之島寺)「別当」がトップだった。

もとより、れっきとした密教僧で、官僧だったはずだ。

それが、室町前期に「三坊」に分かれたらしい。

それぞれの坊に、別当(計三人)が置かれ、

岩本坊の別当が「惣別当」を称して、

江の島を管領(統括)するようになっていった。

江の島のような「神宮寺」の僧たちには、山伏や、

商人、職人、芸能者、道々の輩を生業にする者が多く、

もう「僧」とは呼べぬ生活を送る集団であったろう。

肉食妻帯OKで、場合によっては世襲もあり得た。

彼らは武装していたので、江の島は「城」の如くなり、

「巡礼者の落とす初穂や津料関銭もバカにならぬ」と、

周辺の領主より、目を付けられ始める。

領主たちは、一族の子弟から「別当候補者」を送り込もうと、

算段を廻らすようになった。

謂わば、「江の島乗っ取り」である。

(捨身 Canon G1X)

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