江の島に至る(5)
より、具体的且つ、政治的な?伝承もある。
北条一門の繁栄と、三つ鱗紋の由来を、
江の島明神の利生に求めたものだ。
太平記、巻の第五、「弁財天影向(ようごう)の事」に曰く。
…そもそも、この一門が九代に及んで、天下を保ったのは、
故あってのことである。
鎌倉草創の砌、嚢租北条四郎時政は、江の島に参篭して、
子孫繁昌を祈願することがあった。その二十一日目の夜、
明け方頃、緋袴に柳(薄い青色)裏の衣を纏った、
美しい女房が現れ、このように託宣した。
「お前の前世は、箱根権現に仕える僧であった。
彼は法華経六十六部を書写し、
諸国六十六の霊験所へ納めた。
その功徳によって、お前は再び、
この国に生まれることを得たのだ。
やがて、子孫は日本の主となって、栄華を誇るであろう。
但し、その振る舞いが、人の道に背くことあれば、
七代を超えることはないであろう。
もし我が云うところを疑うならば、諸国の霊験所を調べてみよ」
立ち去る女房の後姿を観ると、
臥丈二十丈(60m)に及ぶ大蛇であった。
時政は「所願成就しぬ」と喜び、
大蛇が落としていった鱗三枚を採って家紋としたのである。
後に、人を遣わして、諸国の霊験所を調べると、
果たしてその通り、法華経が奉納されており、
今の俗名と同じ「大法師時政(じせい)と記されてあったのは、
まことに不思議なことであった…
この物語は、おそらく太平記の時代、即ち、鎌倉後期から、
南北朝期にかけて、広く流布していたのでないか。
もとより、ネタ元は臭いのだが、出てくる個々の事柄には、
興味が尽きない。
例えば、時政の前世が箱根権現の僧だったと云うが、
その辺りからは、江の島、箱根権現、北条一門の、
確固した繋がりが、窺えるわけだ、
さて、石段を登り続けよう。
一寸振り返って、参道と重なり合う家々の屋根に興を覚え、
さらに向こうの海岸を望見する。
ズームアップしてみたら、大変な人出だった。
でも、まるで、別世界の出来事のようだ。
異界から観た、この世とは、こんな感じなのかもしれないな。
(捨身 Canon G1X)
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