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2014年8月13日 (水)

中世世界の巡礼者のイメージ(6)

B14081002

洛中で、まず、観音三十三霊場と云えば、

十一面観音の御座す十六番札所、清水であろうか。

その参詣路に当たるのが、鴨川に架かる五条橋だ。

「上杉本・洛中洛外図屏風」では、木橋として描かれる。

戦国期は、中ノ島を挟んで、橋は二つに別れていたようだ。

定番スタイルの三人の巡礼が、とある小屋掛けを窺っている。

何かを商っているのか、あるいは「橋銭」を取る小屋なのか。

中ノ島は、増水時には水没してしまうから、「河原」である。

この程度の、小屋掛けしか建てられなかっただろう。

もとより「河原」は無主、無租のアジール、

河原者の宿か、市庭に使われることが多かった。

五条橋と云えば、「立君」が想い出される。

辺りが薄暗くなる、「誰そ彼」(たそがれ)時を待てば、

彼女たちに往き逢えるわけだ。

(捨身 Canon S110)

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歴史(中世史)」カテゴリの記事

コメント

清水寺の非人集団は坂者と呼ばれたそうです。異端、芸能、貴種という点では、義経こそ橋にふさわしい存在かもしれませんね。そういえば一寸法師と鬼(弁慶)にたとえられる寓話性もあるようで。

投稿: tae | 2014年8月12日 (火) 22時12分

taeさま
この頃になって、やっと、中世世界の「坂の者」と「河原者」の違いが判るようになりましたね。まず、住む所が違うのですが、職域や職掌で重なる部分は大きいですから、非常にややこしくなるわけです。近世に入ると、お互いに支配、被支配の関係も生じますから、さらにややこしくなります。ましてや、近代ではと…

投稿: kansuke | 2014年8月13日 (水) 21時53分

坂者は清水寺に所属し、立君は清水寺の保護を受け、収入の一部を徴収されいたとか。清水寺、清水坂。五条坂下。五条橋という参詣道の中に両社があったということかと。

投稿: tae | 2014年8月13日 (水) 22時13分

taeさま
五条橋は、此世と彼世との境界を意味したと想います。彼岸は清水寺=仏が支配する領域ということですね。「立君」も向こう側の者と云うことでしょう。この世ならぬ者「橋姫」も想起されます。

投稿: kansuke | 2014年8月14日 (木) 22時11分

橋姫聞いたことがあります。それをふまえるとと、洛中洛外図屏風の上記の橋の袂の闇が深く恐ろしいように感じますね。

投稿: tae | 2014年8月14日 (木) 23時00分

能の分野とダブってしまいますね。
『橋姫』は昨年6月に復曲されて話題になりました。
清水寺も『田村』や『熊野』などの舞台ですし、やはりそれだけ、いろいろな意味でいろいろな階層にとって名所なんですね。昔も今も。

そして、その続きが鳥辺野ですものね。

それにしても、この素朴な橋、今の国道一号線やよな~と隔世の感にどっぷりつかっております←スルーしてください

投稿: 糸でんわ | 2014年8月15日 (金) 09時54分

taeさま
そうなんです。上杉本洛中洛外図の世界は、とてつもなく深いんですよ。中世世界のあらゆるネタが詰まっています。無意味なものは、一切描かれていないのです。

投稿: kansuke | 2014年8月15日 (金) 22時35分

糸でんわさま
能狂言の世界は、今となっては、文献などでは、知りようのない「生の」中世人の息吹を伝えてくれる、かけがえのない遺産なのです。曲の細かなところまで、調べていくと、ハッとさせられることが多いですよ。戦国期の五条橋の素朴さにはビックリですが、上杉本洛中洛外図の描くところは、非常に正確です。
そうそう、現在の主要な国道の道筋は古道と一致することが多いのです。

投稿: kansuke | 2014年8月15日 (金) 22時50分

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