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2014年8月 8日 (金)

中世世界の巡礼者のイメージ(1)

B14080601

ここ一年で、諸方の霊験所と云われる、寺社を探索してきたが、

近世の巡礼者の姿は、史料も多いので、

イメージし易いの反し、中世世界は手掛りが極めて少なく、

難しいのが常であった。

でも、一寸注意して探せば、無いわけではない。

「三十二番職人歌合」に描かれた、戦国期の巡礼者を見つけた。

彼は、西国観音霊場三十三所を巡っているようだ。

藍摺り小紋の小袖に、脚絆、草鞋、

上に羽織る、袖無しの胴衣は「笈摺」(おいずり)と呼び、

巡礼者特有の衣装である。

背中の墨書が、三十三所の巡礼者であることを示し、

各霊場(札所)に納める、巡礼札を手にする。

傍らに置いた菅笠、杖、柄杓(喜捨を受けるのに使う)も、

必須アイテムだろう。

いざとなったら、門前の街道で、背に巻いた筵を広げて座り、

路往く旅人に、柄杓を差し出して、

「もの参りに候。施行ひかせ給えや」とやれば、

喜捨を施す(善根を積む)のが習いで、

路銀は、なんとかなったのではないか。

こうして観ると、中世後期には、巡礼者のスタイルは、

ほぼ完成しており、彼らをサポートする旅のシステムも、

整っていたような感じがする。

江戸後期の、あの爆発的なブームは、既に出来上がっていた、

インフラを、再びなぞるだけだったのかもしれぬ。

中世世界を侮ってはいけない。

(捨身 Canon S110)

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コメント

恐るべし中世ですね。西国三十三所は、鎌倉時代までは山伏、勧進聖、遊行聖、熊野比丘尼、僧侶が多く、室町になって庶民に普及したそうですね。東国で観音信仰が盛んだったため、東国からの巡礼者が多かったとか。この方は相当旅慣れているようですが。

投稿: tae | 2014年8月 7日 (木) 22時14分

taeさま
そうですね。彼は本当の「中世の旅人」ですよ。最低限の持物で渡って往けるのですから…
ある種の精悍さ、日に焼けた体臭も感じられて…

投稿: kansuke | 2014年8月 8日 (金) 21時21分

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