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2014年9月17日 (水)

江の島 つけたりとして(1)

B14091604

本編のほうでは、江の島を描いた絵画史料について、
あまり触れられなかった。重要なので、補足せねばなるまい。
中世のもので現存するのは、おそらく「一遍聖絵断簡」だけだろう。
それは、後述するとして、まず、多数現存する近世のものを挙げる。
中でも代表的な、北斎の富嶽三十六景のうち、相州江の島の図だ。
天保年間(1831~45)頃の、江の島を描く。
現在の風景と、そう大きな違いが無さそうで、判り易いと想う。
引き潮時なのだろうか。参詣者が徒歩で渡っている。
ちゃんと描き分けているのは、江の島の「勝地」たる由縁を、
外していないわけだ。
「西の浦」沖に、帆を降ろして舫う廻船は、
船着場の存在を窺わせる。 
汀が迫る、参道入り口の位置は、今と変わらない。
石垣で基礎を立ち上げた宿坊群も、ベアトの古写真と通ずる。
だが、何故か既に立っていたはずの、
青銅の鳥居文政四年銘=1821)が見当たらず、
巨大な石灯籠が左右に立っている。
北斎は、何らかの意図を持って、鳥居を描くのを避けたのか。
狭い参道両側に屋根を重ねる家々、その上方、緑の中が、
「下之坊=宮」(現・辺津宮)の辺りで、地形の特徴を良く掴む。
さらに、右側へ目を移すと、「三重塔」のような堂舎が観える。
かの杉山検校が、元禄年間に造立したと云われるのだが、
謎が多い建造物なのだ。一寸、検証してみよう。
(捨身 Canon S110)

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