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2014年9月 3日 (水)

江の島に至る(19)

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江戸後期、寺社参詣がブームになると、各地の村々に、

多数の御師が現れて、問題が生じていたようだ。

幕府は法度によって、寺社への統制を強めていた。

本山の一本化、檀家制度などである。

その中で、寛永八年(1631)以降に建立された寺院は、

一律、檀家を持つこと禁じられたり、

中世世界で保持していた広大な領地や、領主の庇護を、

一挙に失う寺社が続出するなど、存立基盤を脅かされるに至る。

勢い、派手なプロモーション活動で、諸国の参詣者を集め、

活路を見出すほかなくなったのだ。

関東の村々だけでも、伊勢御師(おんし)はもとより、

榛名山、三峰山、鹿島、武州御岳山、相州大山、

江の島、富士山、尾張津島、近江多賀等々…

様々な「御師たち」(御師のような者と記す。偽御師か!)が、

足繁く立ち廻り、競争が激化していた。

迷惑極まるので、伊勢と津島の御師以外は、

締め出す措置を願い出た村もあったくらいだ。

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江の島にも、そんな時代の残滓が残っている。

茶店の周りに立つ柵の石柱に、寄進者の名が並ぶ。

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こういった茶店や旅館には、かつての御師が経営していた、

宿坊を起源に持つものもあるのだろう。

参詣者の落とす、初穂、賽銭、宿泊料、土産物などの利権は、

バカにならなかったはずで、小大名の一年分の収入を、

超えることもしばしばだった。

惣別当の岩本院(坊)主、間宮家が、幕府に認められた朱印地は、

対岸の片瀬浜に僅か(十八石とも)だったにも拘らず、

大名家から養子をとるほどの「格」を得ていたらしい。

(捨身 Canon G1X)

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