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2014年9月18日 (木)

江の島 つけたりとして(2)

B14091601

再び「一遍聖絵断簡」(鎌倉後期)江の島の場面へ戻ってみよう。
ここでも、塔が出てきた。
二つの山が連なる、特徴的な地形は、そのままと想われるが、
描かれているのは、中腹より上のようだ。
右側(西側)やや上方に、二つの堂舎が観える。
大まかだが、現在の「下之坊(宮)」(現・辺津宮)の辺りか。
下方は、雲に覆われ、雲間より、鳥居と塔が顔を覗かせる。
鳥居は手前、片瀬の浜側に立ち、塔の位置は東側になる。
後に、杉山検校が造立した、元禄の塔は、西側に立っていたから、
ちょうど反対側だったわけだ。
当時の江の島は、侵食の進行を考慮すると、
少なくとも、現在の1.5倍の広さがあったと考えられる。
それに応じて、伽藍配置が異なっていたかもしれず、
景観の印象も、かなり違ったはずだ。
さて、この中世の塔は、誰が造立したのだろうか。
やはり、氏神として崇敬篤かった北条氏が相応しい。
実際、彼らは、彼方此方で塔を建てている。
参考のため、かつて、金沢・称名寺に在った三重塔、
(称名寺結界図部分 鎌倉末期・重文)を示す。
B14091605
(捨身 Canon S110)

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