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2014年9月19日 (金)

江の島 つけたりとして(3)

B14091603

中世人は、世のあらゆる事象に対して、見立てと読み解き、
意味付けを行っていた。
ある事象には、必ず、見立てのもとになった、
もう一つの、相似形を成す、先例が存在した。
見立てとは、今日の見方では「忠実な模倣」と映るのだが、
彼らにしてみれば、先例=吉例を踏襲することに他ならず、
外せない儀礼であり、寿ぎなのだ。
各地の都市的な場が、「京」や「南都」に見立てられるのは、
通例だったし、主立った霊験所もそうである。
だから、もう一つの先例を見つけて(ある意味、謎を解くキィだ)
比較しながら、読み解けば、中世世界の言葉に残らなかった、
景観、賑わい、様々な人々の風俗、思い、生き様が、
浮かび上がってくると謂う、寸法になるわけだ。
江の島も、既に触れたように、見立てが行われていた。
同じ弁財天を祀る、厳島と竹生島だ。
両者が、江の島と異なるのは、我々のよすがとなり得る、
中世の絵画史料が多く現存しているところだろう。
厳島は一遍聖絵に、竹生島は参詣曼荼羅図に描かれた。
上掲は、戦国期の竹生島参詣図。
三重塔を含む、立派な伽藍と僧房が立ち並び、
湖上には、参詣者を運ぶ、大小の船が浮かぶ。
因みに、竹生島は周囲2キロ(江の島は4キロ)と云うから、
かなり狭い場所に詰め込まれていたことになる。
翻って、往時の江の島も、
こんな風に、繁華だったと想っていい。
(捨身 Canon S110)

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