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2014年9月20日 (土)

江の島 つけたりとして(4)

B14091901

江の島に関する、纏まった通史のようなものは、稀少なのだが、
神社が編纂した年表があった。
コピーを入手して、中世のところをざっと観るに、吾妻鑑と太平記、
岩本院の小田原北条関係の文書類は、一応網羅されているようだ。
上記以外では、「後宇多院勅額」が目に留まる。
実物が現存すると云い(未見) 「江ノ島大明神」と大書され、
「建治元年(1275)九月廿二日」「蒙古来船退散御願」
とも記されているらしい。
蒙古襲来に際し、諸国の主な寺社で「異国調伏」の祈祷が、
行われたが、江の島も例に漏れず、上皇の勅額が奉納され、
併せて、北条時宗が「下之坊」の社殿を再興したと伝わっている。
その社殿とは、一遍聖絵断簡に描かれた、中腹の二宇の堂舎と、
時代的に符合すると想われる。
弘安四年(1281)二度目の来寇で、元軍は暴風に遭い、壊滅する。
もとより、暴風を起こすのは,龍神(=弁財天=観音)であるのが、
中世世界の「常識」であった。
龍神と弁財天を祀る、江の島の効験は、とりわけ高く、
評価されたはずで、天下に名声を広めたことであろう。
(何と云っても、北条家の氏神なのだ)
上掲は、金沢文庫所蔵の「日本図」(重文)だ。
最古級の日本図で、三河、尾張、信濃、飛騨、越中,能登以西、
畿内、中国、四国、九州の部分が残存し、大陸側の視点から描く。
注目すべきなのは、列島が、大蛇か龍のような、
鱗を持った生物に、ぐるっと取り巻かれていることだ。
この絵図は、蒙古襲来直後に作成された考えられている。
「龍が守る国」(或いは、龍に守られた北条家)と云う、
コスモロジーが取り入れられたのが、
極めて具体的に、確認出来るわけだ。
(捨身 Canon S110)

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コメント

鱗がはっきり見えますね。これと似た絵を以前鯰江に関した本で見たことがあります。龍蛇が地震をおこし、かつ日本を守っていると。列島自体が龍蛇ということで、中世の世界観が見事に表れている図ですね。

投稿: tae | 2014年9月19日 (金) 22時21分

taeさま
この絵図の存在は、以前から知っていたのですが、江の島の探索を経てから、意味するところの重大さを今更ながら悟ったわけです。弁財天、龍神、北条氏、そして、元寇と「神国」思想、通奏低音の如く繋がりますね。

投稿: kansuke | 2014年9月20日 (土) 09時35分

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