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2014年9月22日 (月)

江の島 つけたりとして(6)

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鶴岡八幡宮に現存する「弁財天在像」(鎌倉後期)は、
江の島神社に伝わる像より大きく、作風も優れ、重文指定だ。
像内銘から、鶴岡八幡宮寺に仕える、楽人・仲原某が、
自らの楽才向上を願って、奉納したことが判っている。
江の島の弁財天との、直接の関わりは無いようだ。
八幡宮寺には、既に弁財天が祀られていた。
源平池の中ノ島に、今も社が残っている(上掲)
江の島が八幡宮寺の傘下に入ったと、確認出来るのは、
室町期以降のことだと謂う。
(同時期に、足利のばん阿寺が傘下に入っているのも興味深い)
北条氏の滅亡後、関東公方足利氏が鎌倉の主になってから、
江の島との繋がりが、強調されるようになる。
もとより、足利は源氏、八幡宮寺が氏神だが、
大スポンサーの、北条氏を失った江の島にも、
十分に配慮したふしが窺えるのだ。
尊氏の正妻が、北条家の出てあったことも、関係するかもしれない。
(中世世界では、妻の出身家の影響力を無視出来なかった)
完膚無きまでに、滅ぼされてしまった一族だけれど、
彼らの遺伝子が、意外に多く、
足利に受け継がれていることに、今更の様に驚かされる。
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(捨身 Canon G1X)

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