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2014年9月25日 (木)

江の島 つけたりとして(8)

B14092402

杉山検校の、江の島への帰依ぶりは、相当なものだったらしい。

元禄五年(1692)まず、下之宮(現・辺津宮)境内に護摩堂を建立。

この堂からも、近世以前の江の島明神は、

密教寺院であったことがよく判る。

さらに、元禄七年(1694)同所に三重塔を建立した。

場所は、北斎の相州江の島図でも、窺えるように、

下之宮社殿、やや西寄りの中腹だったのだろう。

だが、現在、跡地は、諸説あるものの、確認に到っていない。

三重塔は、その後、明治の廃仏毀釈で破却されたと考えられる。

ちょうど、鶴岡八幡宮寺の「大塔」が破却されたのと同様だ。

仮に、どちらか一つの塔でも、現存していれば、

鎌倉の「世界遺産」は固かった?と想うのも一興か。

それにしても、当道座・関東惣検校の地位は、

かなりの収入をもたらしたようだ。

彼が江の島に寄進したもので、残っているのは、

東海道、藤沢宿の遊行寺門前に始まる「江の島道」に、

立てられた四十八本の道標(内十二基)と、

小大名並みの墓標のみである。

B14092104

「西の浦」の上より、片瀬の浜と境川河口を望む。

(捨身 Canon G1X) 

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