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2014年10月28日 (火)

日向薬師宝城坊へ(3)

B14102703

中世世界より、大山=雨降山を目指すに、三つの登り口があった。

まず、伊勢原の大山(坂本)次に秦野の蓑毛(西坂本)

そして、此処、日向である。

其々、西の蓑毛に大日堂(大日如来)中央の大山寺に不動明王、

東の日向には、霊山寺(薬師如来)が配される。

何れも、深い谷筋に沿って、多数の僧坊、堂塔伽藍を擁し、

修験道の基地を呈していた。

つまり、大勢の山伏たちが闊歩する、谷々だったのだ。

でも、殆どが、明治維新の廃仏毀釈で失われ、

今では、ほんの僅かな痕跡しか残さない。

B14102605

さて、路線バスの終点から一寸登ると、

右手に、日向薬師宝城坊の鎮守「白髭社」が観えて来る。

祭神は半島の渡来人「高麗王若光」(白髭明神)と云われ、

期せずして、前日探索した、高麗川の高麗神社と重なる。

武蔵、相模の霊験地に、渡来系の影を見出すことは実に多い。

探索の重要なヒントだろう。

B14102701

明治以前には、熊野社も並んで祀られていたらしいが、

合祀で廃絶したようだ。

B14102702

南北朝期、日向山霊山寺には、鎮守の「七所権現あり」と云う。

その一つなのだろうか。明晩へ続けよう。

来たりし方を振り返って観る。

(捨身 Canon G1X)

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