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2014年10月29日 (水)

日向薬師宝城坊へ(4)

B14102801

日向山霊山寺が在った谷筋には、清流が流れ、

参詣道に沿って、幾つかの橋が架かる。

林間の彼方此方に、平場が認められるが、

かつて、何らかの堂舎か、僧坊が建っていた跡かもしれない。

霊山寺の縁起に伝えるところでは、霊亀二年(716)僧行基が、

薬師如来の託宣に因り、大山=雨降山東方の山麓で、

白髭明神と熊野権現の導きを得て、霊木に薬師像を刻み、

一堂に安置したのが始まりと云う。

とりわけ、白髭、熊野の二神の役割が注目されるだろう。

渡来系の人々と、熊野山伏の存在が、見え隠れするわけだ。

もとより、行基も渡来系の出自と謂われる。

B14102802

こんな感じの屋敷墓をよく観かけた。

石塔の中に、僧侶の無縫塔の残欠が混じっていたりする。

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さて、南北朝期に、寺内で祀られていた「七所権現」とは、

…熊野、箱根、蔵王、石尊(大山=雨降山の神体)

 山王(日吉社)、白山、伊豆山…とされる。

いずれも、東国をはじめとする、代表的な、修験道の霊験所だ。

山伏たちのネットワークを表したとも考えられよう。

熊野は上記の通りとして、白髭社のほうは、より古い、

渡来系コネクションの残滓と解すべきなのか。

B14102804

日向薬師宝城坊の表参道入り口に戻る。

(捨身 Canon G1X)

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