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2014年10月 1日 (水)

検校の姿

B14093002

文政九年(1826)長崎出島に滞在していた、
オランダ商館付医師シーボルトは、町絵師、川原慶賀を伴い、
商館長の江戸参府に同行する。
道中、彼は、目撃した様々な人々の姿態を慶賀に描かせた。
計一〇九態にのぼる、これらの人物画は、画帳に綴じられ、
シーボルト事件の際に、オランダへ持ち出されて、現存している。
さて、その中に、当道座の検校が集録されていた。
おそらく、杉山検校も、このような姿だったのであろう。
当道座の職階は、検校を筆頭に、
別当、勾当、座頭の四等官を基本とし、
江戸期に入ると、さらに十六階、七十三刻みに細分化された。
座に属する盲人が、検校の地位を得るには、
各々の職能の試験に合格し、「検校千両」とも云われる、
多額の献金を納めねばならなかった。
勾当以上になれば、紫の頭巾、緋色の衣の着用と「撞木杖」
(しゅもくづえ 頂部がT字形で、鉦叩きに似る)の所持が許された。
画中の検校は、菊紋様の藍色の頭巾に茶の衣、撞木杖を携える。
一説に、撞木杖の由来は、
念仏聖の「鹿杖」(かせづえ)であるとも云う。
(捨身 Canon S110)

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