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2014年11月20日 (木)

武州高麗郷逍遥(11)

B14112001

続日本紀、霊亀二年(716)五月の条に拠ると、

駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野、七ヶ国に分住する、

高麗人1799人を武蔵国へ遷して、高麗郡が置かれた。

この集団を率いたのが、高麗王若光であったとするのは、

高麗神社伝わる「高麗氏系図」に記すところだ。

彼らは、高麗川流域で、焼畑と養蚕、窯業を中心とした、

生活を送っていたと考えられている。

B14112002

若光の死後、現在の社殿後背の「後山」(うしろやま)に、

霊廟が建立され、高麗明神、或いは、白髭明神と呼んだ。

おそらく、山上に墳墓が設けられたのだろう。

実際、山中の尾根上に、高麗一族墓所と、

半島式の土饅頭が二基、現存しているらしいが、

今回は時間切れで、探索出来なかった。

B14112003

若光より数えて、二十三代の純秀は、園城寺(三井寺)の僧、

行尊の勧めで、修験道に改宗、麗純と号した。

彼が吉野大峰へ修行に入ったのは、

時に、康治二年(1142)のことと云う。

(捨身 Canon G1X)

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