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2014年11月13日 (木)

武州高麗郷逍遥(5)

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天智天皇七年(668)半島では、唐、新羅の連合軍によって、

高句麗が滅亡する。前後して、多くの人々が列島に渡来した。

その主立った者の中に、高麗王若光がいたようだ。

二年前に来朝した、高句麗使節の一員だっとも云う。

大宝三年(703)叙階した若光は、王姓を賜与され、

高麗王(こまのこきし)を名乗る。

霊亀二年(716)続日本紀に拠れば、東国七カ国の高麗人、

1799人を武蔵国に移し、高麗郷が設置された。

集団を率いたのは、若光だったと云われる。

若光の死後、子息たちが祀ったと伝わるのが、

この社の始まりだ。

B14113004

さて、境内で現存最古の建造物がこれだ。

社殿裏の、高麗家住宅(江戸初期・重文指定)である。

おっと、此処も修復工事に入ったらしい。

(捨身 Canon G1X)

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