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2014年11月18日 (火)

武州高麗郷逍遥(9)

B14111801

山門をくぐる前に、一寸道草を。

B14111802

門前に、立派な石灯籠が一対、目に留まった。

よく観ると、銘文が刻まれている。解読してみよう。

まず、中央の紀年銘から、

宝暦十一年(1761)辛巳 六月十二日

左下の、寄進者名は、読み難いが、

越前国 丸岡城主 有馬外吉 藤原充純…か。

一番右に大書されるのは、寄進先だろう。

惇信院殿 尊前…と読めた。

B14111803

以上を読み解くとこうなろうか。

有馬(外吉=とのきち、或いは、ひろきち?)充純(まさずみ)とは、

越前・丸岡藩五万石、三代藩主(1747~72)のことである。

時に、僅か十四歳。五年前の宝暦七年(1757)に藩主の座に、

就いたばかりで、外吉は幼名だ。

ついでながら、彼は明和九年(1772)二十六歳で死去している。

次に、惇信院とは誰か。

調べてみたら、何と、九代将軍徳川家重であった。

家重は、宝暦十一年六月十二日(1761)薨去。墓所は増上寺だ。

そう、紀年銘は、家重の没年月日というわけだ。

本来ならば、増上寺の墓前に立てられるべき石灯籠なのに、

何故、此処にあるのか。

経緯は判らないが、流転を重ねてきたのは確かだろう。

B14111804

譜代の丸岡藩・有馬家は、幕末期に若年寄、老中を出す。

この石灯籠、将軍家重死去に際し、少年藩主を慮り、

家老たちが万事気を回して、寄進したのであろうな。

さて、来たりし方を振り返りつつ、探索を進める。

(捨身 Canon G1X)

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