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2014年12月21日 (日)

鎌倉大町界隈 (15)

B14122001

上掲したのは、これから最深部へ分け入ろうとしている、
大町界隈の拡大図だ。
鎌倉祇園会を支えた「大町八町」の推定位置が示される。
今までの探索の足取りを辿れば、
夷堂橋の筋替えを振り出しに、本覚寺→妙本寺
→常栄寺(ぼたもち寺 上図では松殿付近)
→八雲神社(大町祗園天王社 上図では町小路付近)となる。
さて、小町大路を跨ぎ、次の探索地「中座」へ向かおう。
B14122002
典型的な鎌倉の路地裏が続く。
祗園社側を振り返って観る。背後の木立は「祗園山」だ。
おっと、通り過ぎてしまったようだ。
B14122003
住宅街に隠れるように時宗寺があった。
字名を採って「中座山・教恩寺」と呼ぶ。
小田原の北条氏康が材木座の光明寺内に建立し、
江戸初期に「中座」へ移ってきたと伝わる。
もとより時宗寺院も、日蓮宗寺院と同様、
中世世界の都市的な場では、相応しい宗教装置に違いない。
そもそも「中座」と云うのは、
当地に棲む商人や職人=「町衆」(ちょうしゅ)たちが、
地縁的な結びつきで組織した「町座」の中心を指す。
市庭を管理する司令塔であったから、商業的な意味では、
此処が大町の核心部なのだ。
位置的にも、大町祗園社の直近、西正面に当たり、
鎌倉祇園会の際も「船鉾」がまず最初に巡行したのであろう。
B14122004
境内には、新旧入り混じった石塔が並んでいた。
各部材は、継ぎ合わせのようだが、
古くは、中世へ遡る、五輪塔と宝篋印塔か。
(捨身 Canon G1X)

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