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2014年12月30日 (火)

鎌倉大町界隈 (24)

B14122901

さて「祗園山・安養院」を出て、大町大路を大町四ツ角へ戻る。
途中、古道沿いの、昭和の町屋などを撮影しながら、
再び小町大路を北上、出発点の夷堂橋を目指そう。
B14122902
ところで、現在の鎌倉市の人口は、173000くらいと聞いた。
中世世界の鎌倉の人口は如何程であったか。
最盛期の鎌倉末期頃で、推定五万~十万と、
甚だ大まかな数字しか得られていない。
永仁元年(1293)四月の大地震では、谷戸々が崩れ、
寺社が倒壊、死者二万三千人にのぼったと云う記録があり、
それを信用すれば、十万人近かったのではないかとも想える。
町屋が密集「木密」と化していた様子も、かなりイメージ出来る。
正和四年(1315)三月には、和賀江(小町大路をさらに南下して、
和賀江津に臨む港湾地区。此処も町屋密集地だ。概念図参照
より出火、みるみるうちに延焼し、炎は鶴岡八幡宮寺を包み、
山内(現北鎌倉)の建長寺も類焼してしまったと云うのだ。
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大町会館前。裏手は八雲社(大町祗園天王社)辺りだ。
今となっては、この風情、好ましいものになっている。
(捨身 Canon G1X)

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