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2014年12月31日 (水)

鎌倉大町界隈 (25)

B14123001

再び、出発点の夷堂橋に戻る。
右手の看板に「八雲町」とあるが、もとより、その字名は新しい。
「八雲社」(大町祗園天王社)の名称が生まれたのは、
明治の神仏分離以降である。祗園社が在った辺りは、
中世世界では「大町八町」内で「町小路」と呼ばれていた。
B14123002
大町の境界を越え、小町大路を辿り「小町」に入る。
現在の幅員はご覧通りだが、既述の如く、往時はこの3~4倍、
20m超であったことが、沿道裏の発掘調査で確かめられている。
「小町」も大町同様、文永二年(1265)に幕府が認めた、
B14123003
暫く小町大路を北上する。道はほぼ真直ぐだ。
この一帯は、おそらく、大町側より、鶴岡八幡宮寺へ至るまで、
間断無くぎっしりと、町屋が建ち並んでいたことであろう。
B14123004
此処で小町大路は、鶴岡八幡宮寺方向(左)から来る「横大路」と、
合流し、「六浦道」(むつらみち)」になって、東方(右)へ、
大きくクランクする。文字通り、鎌倉府内最大の「筋替」だと想う。
武家の都、鎌倉の結界として、大きな意味を持ったはずだ。
同時代の京都や平泉にも、似たような「筋替」があったのではと、
想像が膨らんでいくのを抑えられないでいる。
さて、とりあえず、当地を今回の探索の終着点としよう。
「筋替」の問題は、今後も引き続き考えて往く。
(捨身 Canon G1X)
…………………………………………
*年末年始は、近刊の、
 ~現代思想 二月臨時増刊号 総特集 網野善彦  
                 無縁・悪党・「日本」への問い~
を熟読したく、暫時、投稿を休みます。
当ブログ、及びツイッターにて、
感想をお伝え出来ればと思って居ります。

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