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2014年12月10日 (水)

鎌倉大町界隈 (4)

B14120901

そもそも、何故、鎌倉大町界隈の探索を想い立ったのか、
簡単に触れておこう。まず、上図を掲げる。
大町の大まかな位置は掴めるだろう。
現在のJR鎌倉駅から、若宮大路を一寸海側、逗子方向へ、
下った辺りで、徒歩十分以内で着ける。
図内、点線で囲ったところは、
吾妻鏡、建長三年(1251)十二月三日の条、
及び、文永二年(1265)三月五日の条に出てくる、
幕府によって「町屋」(常設の店舗と捉える)の設置が、
許可された地域を示す。
つまり、中世世界の鎌倉に於いて、商人や職人たちが集住し、
活発に活動していた「都市的な場」のことだ。
吾妻鏡に、具体的に挙げられている地名は、
大町、小町、米町、魚町、亀谷辻(武蔵大路下)
和賀江(津)、大倉辻、化粧坂上、筋替橋である。
中でも、大町、小町、米町、魚町地区は、鎌倉府内でも、
最も繁華な地域であったことが判っている。
この地域は、鎌倉の衰亡が始まったとされる、
享徳の乱(1455)以降も、戦国期、近世を通じて、
「都市的な場」の空気を保ち続けたと云われる。
だとすれば、ひょっとすると、今日でも、
その残滓を辿れるかもしれないと謂うわけなのだ。
B14120902
さて、妙本寺門前に戻る。
長い参道を進み、谷戸奥へ辿り着く。
石段を上ると、朱塗りの「二天門」が観える。
B14120903
今年の鎌倉の紅葉は、やや早回しのようだ。
(捨身 Canon G1X)

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