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2015年1月15日 (木)

青梅の観音へ参る(12)

B15011401

山門は多聞天と増長天に守られている。

これは右側の増長天のほうだ。

天寧寺は、三田一族によって、戦国期の文亀年間(1501~04)に、

建立された。時の当主は、あの塩船観音寺の千手観音を、

修理させた三田氏宗である。彼より三代、子の政定、孫の綱秀で、

三田一族は滅亡するのだが、その話は後に譲る。

この寺が建つ前、当地には「高峯寺」と云う、

真言寺院が在ったらしい。天慶年間(938~46)将門創建と伝わる。

三田一族の人々は、もともと平氏姓を名乗っており、

この伝承に尋常ではない、拘りを持ったようだ。

氏宗は、上杉顕定に仕えたと云われる。当時、関東の諸豪族は、

主君の鎌倉公方や関東管領から、諱名(いみな)の前の一字を、

貰うこと(偏諱=へんき)が多かったので、「氏」の字は、

その可能性が高いと想うのだが、該当者がなかなか見つからない。

鎌倉公方が代々使った「氏」は、「通字」(とおりじ)だから、

偏諱は考え難い。管領家には、上杉氏憲(禅秀)という人がいたが、

一寸時代が早くて、微妙なところだ。

いずれにしても、彼らは、かなり「誇り」高い一族だった匂いがする。

「従五位下・弾正忠」の官職も、

単なる「受領名」ではないだろう。

B15011402

現在の伽藍は、江戸中期以降のものだが、

曹洞宗の典型的な堂宇が揃い、都下では稀有な例だそうだ。

B15011403

そうそう、梵鐘の銘を確認しなくては…

(捨身 Canon G1X)

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