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2015年1月18日 (日)

青梅の観音へ参る(15)

B15011701
勝沼城は、多摩川上流北岸の丘陵突端上に位置し、
奥多摩渓谷の入り口と、古青梅街道の分岐を抑えていた。
現状は、戦国期の「平山城」と分類されているようだが、
筆者は、中世の典型的な領主の舘跡とみる。
平地から立ち上がる、やや高みの斜面で南面し、
前面に、街道と集落を見下ろす形式をとるからだ。
従って、防備は、一重の空堀と土塁、櫓程度と、
さほど厳重ではなかったと想う。
三田一族は、当地を「杣保」(そまのほう)を経営する、
本拠に選び、当主の居館を構えた。
その時期は、鎌倉後期から戦国期までの、
ほぼ三百年に及ぶと考えられる。
B15011702
舘跡南面の麓に、幾つかの寺社が並んでいる。
殆どが曹洞宗の寺院で、開山も戦国期以降が多い。
その一つの妙光院だ。
本堂裏手の墓地に、勝沼城跡への登り口がある。
B15011703
さて、城跡へ続く、緩やかな坂道に取り付く。
次第に視界が開けてきた。
(捨身 Canon G1X)

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