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2015年1月21日 (水)

青梅の観音へ参る(18)

B15012001

青梅街道の踏切前を右へ入り、線路沿いの小径を進む。
何だか、鎌倉を彷彿とさせる風情だ。
B15012002
「勝沼公会堂」前を過ぎる。
ご覧の通り、この辺りの字名は勝沼である。
合戦の際、三田一族が「寄親」として率いた地侍たち(寄子)は、
「勝沼衆」と呼ばれていたようだ。
三田一族の領地は、もとより奥多摩渓谷の「杣」が中心だったが、
西は、多摩川中流を隔てて、北条と大石の八王子領に接し、
最盛期には、東は、入間川を超えて高麗まで届いていた。
一時、高麗郷も、領域に加えていたらしい。
石高にすれば、一万五六千、動員出来た軍勢は、
千二三百と云ったところか。
B15012003
さて、石垣に囲まれた立派な結構の寺が観えてきた。
勝沼城の南西、裏鬼門に位置する「乗願寺」だ。
既述の如く、勝沼城の北東の鬼門には、塩船観音寺があり、
試みに、三者を地図上に落としてみると、
見事に、ほぼ一直線上に並ぶのが判るのだ。
B15012004
山門へ登ろう。
この寺のことを語らねばなるまい。
(捨身 Canon G1X)

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