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2015年1月25日 (日)

青梅の観音へ参る(21)

B15012202

乗願寺へ戻ろう。
興味深い遺物が伝わっていた。
三田一族、最後の当主、綱秀所用の兜前立て(金色の扇)と、
旗指物(同じく、扇と左三つ巴紋を上下にあしらう)だ。
青梅市郷土博物館の学芸員の方へ聞いたところ、
時代的に符合するので、ほぼ実物だろうとのことだった。
筆者にも、合点の往くことがあった。
抑々、この寺の時衆は、大事な役目を負っていた。
出陣の際、軍勢に付き従い、戦傷者の治療看護や、
戦死者の収容、埋葬供養を行う。
そして、当主が、いよいよ最後の時は、
十念(南無阿弥陀仏を十回)唱えさせ、
極楽への引導を渡し、往生を見届ける。
葬送はもとより、遺族へ首や遺品を届け、
最後の様子を、事細かに語り伝えるのだった。
彼らを「陣僧」と呼ぶ。鎌倉末から南北朝期頃(太平記に初出)
に始まり、室町、戦国期には、武士たちの間で、
一般化した、謂わば合戦の「作法」であった。
乗願寺の時衆は、綱秀の最後(永禄四~六年 =1561~63 
自害と云々)に立ち会い、彼との生前の約束を違えず、
すべてを実行したのであろう。
後には、上述の如く、遺品が託されたが、
渡すべき一族の人々も滅び、当寺に残ることになったわけだ。
(三田一族最後の戦いについては、後述しよう)
B15012203
境内には、一寸した楠の古木がある。
塩船観音寺もそうだが、青梅には楠の巨木が目立つようだ。
気候的には山間地で、厳しいはずだが、
南関東の沿岸地域と同様、「熊野海民」の足跡を、
感じてしまうのは、筆者だけであろうか。
大楠の陰から、近世青梅宿の辺りを覘く。
乗願寺には「陣僧」の他にも、重要な仕事があったと想う。
それは、富士吉田の御師宿のような、宿の管理ではなかったか。
B15012206
乗願寺前の踏切を超えて、「宿」へ入って観たくなった。
そう云えば、「踏み切り」もまた、
立派な異界への入り口であることよ。
(捨身 Canon G1X)

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