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2015年1月27日 (火)

青梅の観音へ参る(23)

B15012601

近世青梅街道に沿って、「西分社」の参道前を過ぎる。
この辺りの字名は、西分町(にしわけ)と呼ぶが、
戦後、地名の訓読が「指導」されたせいで、そうなったようだ。
本来は「にしぶん」であった。
隣の勝沼の「西半分」だったことに由来すると云い、
こっちのほうが、全く筋が通るのだ。
つまり、中世までに、何らかの事情で勝沼領は、
「下地中分」によって「西分」と「東分」に分割された、
可能性がある(現状の勝沼は「東分」だったのか)
このように、地名には、その土地の掛け替えのない歴史が、
刻まれていることが実に多い。
現代の感覚に頼った、安易な地名変更に、
筆者が賛成出来ない由縁である。
B15012505
そうか、中世世界では、此処までが、三田一族の勝沼舘と、
乗願寺(山号は勝沼山)の膝元だったわけだから、
中世の「宿」と「市庭」の境域に含まれていたかもしれぬ。
でも、近世の青梅街道と、中世の道筋が一致したかどうか、
判らないので、推定は急ぐまい。
典型的な町屋造りの古民家前を通る。
雨戸が閉まったままで、人気は無いが、
明らかに、シャッター街よりは風情がある。
B15012602
寺の多い町(青梅は六十を超える)は和菓子屋が多いと云う、
経験則?に、まぁ、当地も当て嵌りそうだ。
B15012603
おっと、前方に「見付」否、「筋替」らしき、クランクを発見した。
地図上ではハッキリしてなくても、現地に立てば、
一目瞭然のケースだろう。
(捨身 Canon G1X)

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