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2015年1月28日 (水)

青梅の観音へ参る(24)

B15012701

「筋替」は、近世青梅宿の結界を示すものであろう。
これで、宿の中に入ったわけだが、右手に直ぐ、
大きな石鳥居が観えて来る。「住吉神社」だ。
参道と石段が、小高い独立した小丘上へ続いている。
もとより住吉社は、航海の神であると同時に「市の神」である。
実際、江戸期まで、青梅宿では「六斎市」(月六回開催)
が開かれていた。市を奉行した「宿名主」に、
三田一族の主だった家臣の名が挙がっているから、
市庭が、中世世界に起源を持つことは疑えない。
問題は、その在処だが、江戸期は住吉社境内から、
青梅街道に沿って、西側であったと想定出来るだろう。
住吉社は、応安二年(1369)宿内に臨済宗の寺を開いた、
禅僧が、鎮守として勧請したのが始まりと云われ、
位置も、当初より移動していないと想われる。
とすれば、中世の宿と市は、住吉社を西端として、
時宗・乗願寺辺りを東端とする間に在ったのでないかと、
推定しても、いいかもしれぬ。
住吉社へ登ってみるとしよう。
B15012704
青梅宿を見渡せる、絶好の「勝地」なのがよく判る。
この小丘は、廻りの山々とは関係なく、多摩川沿いの渓谷内に、
些か唐突にせり上がって観える(後背の窪地をJR青梅線が走る)
何らかの、古代遺跡の可能性も捨て切れまい。
B15012702
社殿もなかなか立派だ。
本殿は正徳六年(1716)拝殿は文政年間(1804~30)の建立とある。
B15012703
祭礼の五月二日と三日には、十二台の山車巡行(宿内十二町か)
が行われるそうだ。
(捨身 Canon G1X)

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