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2015年1月31日 (土)

青梅の観音へ参る(27)

B15013001

青梅宿には、往時を偲ぶ古民家が多い。
宿の「町年寄」を務めていた「稲葉家住宅」だ。
江戸後期の商家で、やはり「杣」の材木と、
特産の織物「青梅縞」を商っていた。
公開されているので、内部を観ることが出来る。
B15013003
現在も、稲葉家の方々は、宿北側の山裾にお住まいだそうだ。
B15013002
「裏宿の七兵衛」のイメージを続けよう。
伝承では「義賊」であったと云われる。
宿で困窮する賤視された人々のもとに、そっと金品を置いていく。
でも、恐らくは、そうあって欲しいと願う、宿の人々が、
「鼠小僧」の物語に肖ったものであろう。
実際の七兵衛は、何人かの与党の者と一緒に、
捕縛されたと記される。
あるいは、中世的な「党」を結ぶ「賊」と謂えなくもない。
一晩に十数里(40キロ以上)走り、戻ったと云う健脚は、
山伏が使った、「早駆け」の術を想起させよう。
(流行りの山岳トレイルに近いものだろうか)
青梅の「杣」を飛ぶが如く駆け抜けた、
「山人」の血を受け継ぐ者たちにとっては、
造作無い「技」ではなかったか。
道も、既に中世世界から整っていたはずで、
もとより、青梅宿のアクセスは悪くない。
甲府、八王子、立川、相模まで…いずれも「表街道」は使わず、
勝手知ったる山中の「杣道」を辿るから、
近道となり、捕吏の手も容易には届かなかったわけだ。
(捨身 Canon G1X)

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コメント

野田泉光院の旅の仕方を思わせませね。宮本常一の本で知ったのですが。いや宮本常一の読み解き方がすごいせいもあるのですが、すごいおもしろかったです。七兵衛にも独自のネットワークがあったのでしょうか。

投稿: tae | 2015年1月30日 (金) 22時54分

taeさま
一寸寄り道して、七兵衛を追い駆けてみようかと…(俊足なので大変ですが) もとより、ネットワークはあったと想います。例えば、杣保には山伏たちの足跡が凄く残っているのですよ。

投稿: kansuke | 2015年1月31日 (土) 23時55分

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