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2015年1月 9日 (金)

青梅の観音へ参る(6)

B15010801
「大檀那平氏朝臣将門之後裔三田弾正忠政定」
青梅市内の天寧寺の梵鐘銘にそう刻まれているそうだ。
氏宗の子政定が大永元年(1521)に奉納したものだ。
異様なほどの「将門之後裔」への誇りと謂うか、
執着が看て取れよう。
だが、彼らが将門の後裔どころか、平氏である確証も全く無い。
当地、「杣保」(そまのほう)では「三田」と呼ぶ字名が、
見出せず、本貫地であることも疑われているようだ。
おそらく、何処からか移ってきた一族なのだろうが、
最近では、武蔵国・荏原郡三田、
(現・目黒区三田、筆者渋谷の旧居の最寄だった!)
本貫地説も飛び出しているらしい。
もとより、目黒のほうには痕跡すら残っていないから、
飽くまでも、推測である。
写真上、境内には、樹齢千年の大杉の他に大楠がある。
こちらも、参道を挟むように対になっている。
B15010802
山門(重文指定)の八脚柱内の一本を示す。
手斧(ちょうな)と槍鉋(やりがんな)のみで製材された、
中世の材(室町後期)だろう。
いつもながら、魅かれて止まないわけだ。
B15010803
青梅市も、南関東の他地域の同様、中世板碑の宝庫だ。
本堂・観音堂の傍らに「板碑堂」が設えられている。
高さ2mに達する、永仁四年(1296)銘の「大板碑」
頂部は欠損するが、連弁の浮彫りを施すなど、
入念な仕上げで、優品と観た。
このほかにも、百枚以上残っているとのことだった。
(捨身 Canon G1X)

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