« 青梅の観音へ参る(7) | トップページ | 青梅の観音へ参る(9) »

2015年1月11日 (日)

青梅の観音へ参る(8)

B15011001

中世世界の青梅=「杣保」(そまのほう)と三田一族について、

読み解きを始める前に、暫時閑話休題としよう。

何せ、些か深い話なので、頭の整理も必要だ。

そう謂えば、未だ塩船観音寺の宗派に触れていなかった。

真言宗醍醐寺派、つまり「当山派」の修験道である。

だから、こんな光景も観ることが出来る。

交通安全のご祈祷か。

B15011002

興味深いので、一寸見学させて頂いた。

修験の寺だから、往時は山伏の大基地であった可能性が高い。

僧坊が立ち並び、各地の山伏たちが足繁く出入りしていたであろう。

もとより「杣人」(そまびと)を束ねる立場にあった、三田一族が、

山伏と同じ「山仲間」として「大檀那」になったはずだ。

彼らによって、立派な堂舎と仏像群が整備されて往ったのだ。

そう、抑々「八百比丘尼」開創伝説と云うのがあった。

「八百比丘尼」に遍歴する女性宗教者、熊野比丘尼歩き巫女の、

足跡を仮託したとも、謂えなくもないだろう。

彼女たちは、山伏と同業者と云っていい。

女房殿に収まるケースも間々あったようだ。

B15011003

さて、寺直営の茶店で見つけた「観音だんご」のこと。

なんと、あの懐かしの「醤油焼き団子」なのである。

当地も「文化圏」に入るのか。

「醤油二度付け」で、たのんでみたら、OKだった。

(捨身 Canon G1X)

|

« 青梅の観音へ参る(7) | トップページ | 青梅の観音へ参る(9) »

民俗」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 青梅の観音へ参る(7) | トップページ | 青梅の観音へ参る(9) »