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2015年1月12日 (月)

青梅の観音へ参る(9)

B15011101

塩船観音寺へ参ってみて、三田一族の存在が気になり始めた。
そんなわけで、当寺出て、一寸彼らの痕跡を探索しようと想う。
中世世界の青梅=「杣保」(そまのほう)を領するに至った彼らは、
戦国期の永正~天文年間(1504~55)に全盛期を迎えたようだ。
鎌倉公方と関東管領・上杉氏の有力家臣の地位を保ち、
加えて「杣」の収入で積み上がった財力がある。
非常に興味深いのは、同時代の文書に、
「山家(サンカ、或いはサンガか?)たる三田家」と云う、
表現が出てくることだ。「杣人」集団を率いる三田家、それとも、
唯単に「杣」=山中に棲む者たちを総称する意味なのだろうか。
「海賊」の頭目を「海の領主」と呼ぶのに肖って、
「山の領主」と呼ぶのも、案外、ピッタリきそうだ。
では「山賊」はどうなのかと聞かれるかもしれないが、
そういった連中も「杣」を根城とするから、
お仲間であった可能性が高い。峠の要路に「関」を設け、
「関銭」を払わない旅人を襲わせるなんてことがあり得た。
三田一族=山賊頭目説も、強ち荒唐無稽とは云い切れまい。
B15011102
享徳の乱(1454)以降、関東は戦乱の巷となる。
その中で、鎌倉公方、両上杉氏は急速に没落し、
小田原北条氏の力が圧倒して往く。
各地の領主たちは、小田原の傘下へ入らざるを得なくなった。
三田一族も、一度は折り合いをつけ、従ったのだが、
事は、そう簡単には運ばなかったらしい。
彼らにとって、まさに「想定外」事態が待っていたのだった。
B15011103
(捨身 Canon G1X)

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