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2015年2月 1日 (日)

青梅の観音へ参る(28)

B15013101

宿の西端まで来た。
お約束通り、道はクランクし「筋替」を呈している。
此処には、天正十八年(1590)家康の関東打ち入りに際して、
設置された、八王子代官所の支所「森下陣屋」が在った。
関所も兼ねており、「筋替」の手前に木戸と柵が構えられ、
街道は、陣屋の敷地の中を突っ切っていたはずである。
その後、江戸中期の延享年間(1744~48)に、
陣屋と関所は廃止され、屋敷神だった「熊野社」だけが残った。
初代の代官の一人に、鈴木孫右衛門と云う人がいたので、
彼が熊野の関係者だった可能性もあるだろう。
B15013102
現状は、熊野社の境内と小公園になっているが、
往時は、約1920坪の広大な敷地であったようだ。
関所抜けを防ぐために、宿北側の山裾から、多摩川縁に至るまで、
防備を固めていたのだろう。
陣屋が置かれた当初(天正年間)に植えられたと想われる、
カシの巨木が、宿の結界を示すランドマーク(榜示)の如く、
そそり立っていた。
そうか、現在の青梅宿は、少なくとも、家康入府直後の、
天正期(1590~93)まで遡れるわけで、ある意味、近世以前の、
中世世界の宿の境域をよく伝えているのではないか。
お薦め出来る探索地には違いない。
B15013103
陣屋の手前に、宿内最大の寺院「金剛寺」(真言宗豊山派)がある。
将門の時代、承平年間(931~38)に創建と云う。
もとより、三田一族も、厚く保護してきた。
青梅の地名の由来となった「将門誓いの梅」を観ておこうか。
さて、青梅宿はここで尽きるけれど、
宿の外、あの七兵衛の在所「裏宿」へ、
足を踏み入れてみたくなった。
(捨身 Canon G1X)

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