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2015年2月 7日 (土)

青梅の観音へ参る(34)

B15020601

「裏宿の七兵衛」が葬られているのは、
住吉社頭から、青梅街道を渡って、宿の南側の、
宗建寺と云う、臨済宗の寺院だ。
多摩川縁へ下る、緩やかな坂の途中にその寺は在った。
B15020602
裏門より墓域へ向かう。
元文四年(1739)十月、村山三ツ木(武蔵村山三ツ木)で、
捕縛された七兵衛は、翌十一月、同地にて処刑、
首は青梅宿へ送られ、住吉社頭「笹ノ門」に晒された。
中世世界以来の習いで、梟首された者の骸は、
葬送を許されず「打ち捨て」であった。
当寺は「笹ノ門」の坂下にあたったため、
流れて来た、無縁の首を拾ったと称して、
住職が懇ろに供養、埋葬したのだった。
B15020603
過去帳には、青梅ではよく知られた文言が記されている。
「五月三日 法山祖憧信士 年号不知 裏宿ノ人也  
 俗名七兵衛 由来不可尋 永々回向可致者也」
文中、特に…(七兵衛の)由来(素性)を尋ねるべからず。
(但し)永々、回向致すべきものなり…とあるのは、
殊更に、異様と謂わねばならない。
咎人であることを憚ったとみるべきだろうが、
筆者は、どうしても、
賤視された人々の残影を追ってしまうのだ。
B15020604
参拝者が絶えぬ風情の七兵衛の墓所。
想えば、観音に始まり、青梅宿も、奥深く分け入ったもの哉…
でも、未だ最後の仕上げが残って居る。
今一寸、お付き合い下れば、幸いです。
(捨身 Canon G1X)

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