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2015年2月 8日 (日)

青梅の観音へ参る(35)

B15020701

今まで「裏宿の七兵衛」の物語を綴ってきたけれど、
その殆どが、青梅宿で語られる伝承だった。
ほぼ信用出来る記録は、たった二つしか現存していない。
まず、前回引用した、墓所のある宗建寺の過去帳、
そして、昭和二十五年に、此処より、多摩川上流を、
やや山間へ入った二俣尾村(ふたまたお)の名主、
谷合家で発見された「谷合氏見聞録」である。
元禄十一年(1698)に始まり、寛保四年(1744)へ至る、
凡そ五十年間に、同家の当主が、当時の世相や風聞を、
書き留めたものだ。
七兵衛のことは、元文四年(1739)村山三ツ木で捕縛、
処刑後、青梅宿・笹ノ門に梟首されたのみを記す。
同書は、前年の元文三年(1738)当地を含む、
武蔵西部、多摩地方が長雨で凶作云々とも書いているので、
七兵衛一党の盗賊騒動の背景も窺わせてくれるわけだ。
B15020702
江戸期の文書の量は、中世に比べれば、圧倒的に多い。
筆者の周りでも、建て替えや蔵の整理の際に、大量の文書が現れ、
困り果て、焼却に何日もかかったなんて話を聞くことがある。
厖大な近世文書の解読と整理に、人手と予算が不足し、
自治体も往生しているらしい。
でも、上述のような、貴重な記録が混じっているかもしれず、
実に、悩ましいところだ。
今後、七兵衛に関る新しい文書が見つかる可能性も捨て切れまい。
さて、宿の路地裏を後にしようか。
B15020703
JR青梅駅へ戻る途中、再び、宿の東端の「筋替」前を過ぎる。
右信号下の交番跡辺りに、七兵衛が梟首された、
高札場が在ったのではないかと想う。
B15020704
日を変えて、青梅駅より五つ目「軍畑」(いくさばた)駅に降り立つ。
いよいよ、今回の探索の最終ステージへ臨む。
(捨身 Canon G1X)

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