« 青梅の観音へ参る(36) | トップページ | 青梅の観音へ参る(38) »

2015年2月10日 (火)

青梅の観音へ参る(37)

B15020901

「鎧塚」へ近づく。
塚の前を南北に走る道は、中世古道と伝わる。
町田から、相模原、橋本を経て、御殿峠、高尾、元八王子、
秋川、五日市、日之出町と、奥多摩山塊の際を抜けて、
当地を通り、秩父へ向かうと云うことになっているが、
経路については、未だ不明な点も多い。
その道と青梅街道が交差するのが、この谷間であって、
「辛垣城」(かいらい)は、見下ろせる北側の稜線上に、
築かれたのだから、山城の立地としては、お約束通りであろう。
おそらく、北条が攻めてくるずっと以前から、
この城は存在していたはずで、鎌倉との繋がりを重視した、
三田一族にとっては、第二の重要拠点であったと想われる。
B15020902
ズーミングアップしてみると、塚上に小祠が在るのが判る。
B15020903
「鎧塚」前に至る。
おっと、参道が崩れて、通行禁止の表示だ。
今回の探索の最終ステージである。
諦めてはならぬ。
搦手(からめて)へ廻れないか。
B15020904
裏の畑地に入り込む。
ちょうどやって来た列車の後に、聳えるのが「辛垣城」だ。
あの鉄橋下を平溝川が流れ、直ぐに多摩川と合流する。
「二俣尾」(ふたまたお)の地名由来だろうか。
B15020905
目論見通り、此処なら塚上へ登れそうだ。
(捨身 Canon G1X)

|

« 青梅の観音へ参る(36) | トップページ | 青梅の観音へ参る(38) »

歴史(中世史)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 青梅の観音へ参る(36) | トップページ | 青梅の観音へ参る(38) »