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2015年2月13日 (金)

青梅の観音へ参る(40)

B15021201

今回、最後の探索地「海禅寺」に至る。
もとより、立派な禅寺である。
ゆっくりと石段を登ろう。
決して、勿体ぶっているのではなくて、
飽く迄も「余韻」を愉しみたいわけだ。
B15021202
この寺も、青梅市内の他寺と同様、北側の山裾に位置し、
南側の多摩川渓谷と街道を見下す「勝地」となっている。
蓋し「吉相」であろうか。
B15021203
室町期の寛正年間(1460~66)の開山で、
天文年間(1532~55)に、三田一族の菩提寺として、
最後の当主・綱秀が堂塔を整備したようだ。
だが「辛垣城」(からかい)攻防戦で焼亡、現在の伽藍は、
江戸期に入って再興されたものだ。
この辺りは、背後の頂に控える「辛垣城」南側の、
前哨線にあたり、「出丸」の役割も果たしていたと考えられる。
斜面を削平した寺域に、土塁、空堀、楼門を配して、
勝沼館の天寧寺の如く、恰も城郭を呈していたから、
攻め寄せる北条勢に、まず攻撃目標にされ、
火を掛けられたのだろう。
(捨身 Canon G1X)

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