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2015年3月24日 (火)

足柄道を辿る(10)

B15032301

古道は尾根筋へ出たようだ。
一寸した平場になっており、眺望も開ける。
B15032302
路傍に石祠があった。
B15032303
「峠の神」或いは「坂の神」と呼ばれた「足柄明神」が、
中世世界の一時期まで、祀られていた故地である。
(後に、麓の関本宿の峠側出口へ移された。
 現地は、既に探索済みなので、後述しよう)
古代より、峠を越える旅人が、
必ず「手向け」を行った場所であったろう。
現在の祠は、明治初年に住民有志の手で建立されたとある。
神仏分離の影響で、地元古来の地主神が、
顧みられなくなったのを、憂いた末の行動だったと云う。
「足柄明神」についての、最古の記述は、
よく知られた「古事記」に出てくるものだ。
…東征を終えたヤマトタケルが、足柄山を超える際、
 麓の坂下で、食事をとった。すると「峠の神」が、
 白鹿の姿で現れた。これを見て、ヤマトタケルは、
 食べ残しの野蒜の端で鹿を打つと、その目に当って、
 打ち殺されてしまった。
 ヤマトタケルは坂上へ登り、峠に立って、三度嘆息し、
 「吾妻はや」(我が妻よ)と叫んだ。
 これらの国々を「吾妻」(あづま)と呼ぶ由縁であると…
B15032304
社殿は移されても、此処が「坂上」であり、
「勝地」であることは変わらない。
人々の「手向け」の習いは続いたと想う。
登りし方を望む。
山並みの向こう、遙かに相模の平野、
そして右手、谷底の集落が出発した「地蔵堂」だろうか。
かなり登ったものだ。
B15032305
県道に戻ると、県境を示す標識が立っていた。
これから尾根上を進む。
(捨身 Canon G1X)

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