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2015年3月26日 (木)

足柄道を辿る(12)

B15032501

足柄道に「関」(関門)が構えられたのは、
平安前期の昌泰二年(899)のことだと云う。
当時、坂東諸国では「僦馬の党」(しゅうばのとう)と呼ぶ、
騎馬で、東山、東海道を往来する官物を運ぶ駄馬を襲う、
集団が横行していた。
朝廷は、足柄、碓氷の両峠に「関」を設置し、
「偵邏」(ていら=警備兵)を常駐させ、防備を固めた。
同時に「関」の両側の国司へ命じて、通行者に、
「過所」(かしょ=通行許可書)を発行させている。
その古代の「足柄関」が何処に在ったか判らない。
当地では、此処がそうだったと伝えているのだが、
各地の例より、推し量るに、
通常は、所謂「坂本」(さかもと=峠の登り口)に置かれたようだ。
足柄道では、関本宿(古代は文字通り、坂本駅)を出た辺りが、
相応しいと謂えるのではないか。
実際、近世の足柄関所跡は「地蔵堂」の手前、
矢倉沢の集落に在る。
B15032502
古代の「足柄関」が、いつ廃止されたかも不明なのだが、
一寸後の更級日記や、源平盛衰記などの記述から、
中世の中頃までは、何らかの形で存続していた可能性がある。
ひょっとしたら、場所も変転したかもしれない。
戦国期、此処は「足柄城」の中だったわけで、
「関銭」(通行税)を徴収する「関」が在ったとしても、
不思議ではないのだ。
一遍聖絵に、中世世界の「関」が出てくる。
B15032505
(捨身 Canon G1X)

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