« 足柄道を辿る(12) | トップページ | 足柄道を辿る(14) »

2015年3月27日 (金)

足柄道を辿る(13)

B15032503

「足柄之関跡」裏側の路傍に「首供養塚」と云うのあった。

案内板には、関所破りをした者を処刑し、首を晒したとある。

「関所破り」だから、近世のことだろうか。

中世世界でも、峠、坂、河原、浜などの境界地は、

屡、刑場となり、梟首が行われるのが習いであった。

京都の六条河原、鎌倉の龍口(たつのくち)

化粧坂上(けわいざか)などが挙げられよう。

足柄峠の「坂上」が、かつて、そうであったとしても、

全く不思議ではない。左は、室町期の宝篋印塔、

(塔身と相輪は後補のようだ)右は、近世の地蔵だろう。

ついでながら、地蔵の首が無いのは、博打に負けたかたに、

地蔵の首を持って来るのが流行ったためと云う。

村境なんかの地蔵で、首が欠けたのをよく観かけるし、

賭場も、峠の山中のような境界地で、

密かに開かれるケースが多かったらしい。

役人や捕吏の数が少なかった「天領」「旗本領」の農村では、

御法度の「開帳」が盛況だったのだ。

B15032601

直ぐ近くの、一里塚跡を過ぎると、

B15032504

「足柄山聖天堂」前に出た。

この辺りは峠の尾根上なのだが、平場が続き、茶店もある。

今はシーズンオフなので、休業中だった。

何故、突如此処に「聖天」(=大聖歓喜天)が祀られているのか、

よく判らない。足柄山の信仰世界の「謎」の一つだろうか。

何らかの意味付けは、あるはずで、要研究であろう。

(捨身 Canon G1X)

|

« 足柄道を辿る(12) | トップページ | 足柄道を辿る(14) »

歴史(中世史)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 足柄道を辿る(12) | トップページ | 足柄道を辿る(14) »