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2015年3月28日 (土)

足柄道を辿る(14)

B15032602

足柄峠上の「聖天堂」が、どうしても気になった。
一寸、羂索(検索より、いい字面なので)などしてみたら、
この堂の縁日が四月二十日で、つい先頃まで、
「青空賭博」が行われていたと云う記事を見つけた。
「首無しの地蔵」から、近世後期、関東各地の天領で流行った、
「博打開帳」のことを想起したのだが、意外な繋がりであった。
やはり「匂い」は残っていたわけだ。
つまり「峠と博打ち」のことである。
寓居近くの多摩丘陵の村々でも、かつて、大いに流行り、
決まって「峠」で「開帳」されたと聞いた。
山中の、小堂か小社の前庭が、その現場だったのだろうか。
B15032604
「峠」は境界地であると謂ってきた。
現世に於いては「無主」の庭であり、
(相模、駿河両国の国境は、ともに坂下までだった)
峠の神、或いは、坂の神などの、
仏神のみが支配する領域=異界とも謂える。
今少し論を進めれば、
「市庭」にも共通する「アジール」とは謂えまいか。
もとより、近世の博徒と雖も、
中世世界の「博打ち」との関りは浅からぬものがある。
仏神の支配する庭(勿論、俗世の捕吏の手も届き難い)こそ、
賭場に相応しいのであった。
それにしても「聖天」と「博打ち」は、どう結び付くのか。
現世利生、商売繁盛、縁結びと云われれば、そうなのだが、
「峠」の「坂下」(本)に集った遊女たちと「聖天」の相性は、
悪くないと想うから、関連性が無いとは謂い切れないのだが。
B15032603
さて「聖天堂」より道を隔てた「足柄関之跡」の脇に、
足柄城跡への登り口がある。右手の石垣のところだ。
足を踏み入れてみよう。
堂前の金太郎像は、ご愛嬌って感じかな。
(捨身 Canon G1X)

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