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2015年3月30日 (月)

足柄道を辿る(16)

B15032903

「山の神曲輪」の東側裾(空堀の底)を県道(古道と重なる)が、
走っており、反対側(左手)の曲輪が本丸跡である。
現在、両曲輪の間に、道を跨いで橋が架かっている。
その橋上より、登って来た小田原側を振り返ったところ。
B15032705
こちらは御殿場側だ。
右手の階段を上れば、本丸跡へ入れる。
B15032904
本丸跡は結構な広さがある。
足柄城が築かれたのは、北条氏綱の代(天文初年=1530年代頃)
と推定される。当時、足柄道は、既に箱根の湯坂道へ、
東海道本道の地位を譲り、専ら裏街道か、
甲斐から相模への、最短経路として使われていた。
小田原北条氏と甲斐武田氏は、対立と和睦を繰り返しており、
氏康の代に至って、足柄城は大幅に改修、強化されたようだ。
天正年間(1573~90)に入って、武田氏が滅ぶと、
この城は豊臣方に対する、最前線の一翼を担うようになり、
一時は、全山要塞と化していたとも云われる。
しかし、天正十八年(1590)秀吉の小田原攻めでは、
一戦も交えることなく、あっけなく明け渡されてしまう。
B15032905
石碑の下で、遙か御殿場側を望む。
此処は、有名な富士の絶景スポットなのだが、
小雪が舞い出す生憎の天候で、諦めざるを得なかった。
(捨身 Canon G1X)

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