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2015年3月 3日 (火)

足柄山中の天狗棲む寺へ(3)

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大雄山・最乗寺、開山の経緯はこうである。
了庵慧明禅師は、相模国・糟谷荘(現伊勢原市)の、
藤原姓を名乗る国人層((在地武士)の出身と伝わる。
氏は明らかでないが、後の壇越関係や、近隣の箱根権現、
別当職を輩出したことから、関東管領上杉氏の有力家臣、
大森氏(藤原姓)の可能性があるかもしれない。
鎌倉にて出家後、能登総持寺など各寺に住し、五十半ばで、
故郷相模へ戻って、小田原近郊の曽我郷に庵を結んだ。
ある日、大鷲が禅師の袈裟を掴んで、足柄山中の大松に、
掛けるのを観、当地を「勝地」として大寺を建立、最乗寺と称した。
時に、応永元年(1394)三月十日のことであったと云う。
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さて、禅師の弟子に「相模坊道了」(さがみぼうどうりょう)
と云う者がいた。元を質せば、曹洞宗の禅僧ではなく、
三井寺、聖護院で修行を重ねた、真正の「山伏」であった。
彼は、禅師が最乗寺を開くと聞くと、飛ぶが如く参じ、
寺の造営に「五百人力」を発揮して、僅か一年で成し遂げる。
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応永十八年三月二十七日、
了庵慧明禅師は七十五歳にて遷化した。
道了は「爾今、山中に在って、大雄山を護り、利生すべし」と、
生きながら「天狗」の姿に変じ、
火炎を背負い、右手に柱杖、右手に羂索を持って、
白狐の背に乗り立ち、天地鳴動と共に、
背後の山中へ隠れたのだった。
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爾来、この実に不思議な霊験譚が、
大雄山・最乗寺で語り継がれることになったわけだ。
(捨身 Canon G1X)

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