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2015年3月 8日 (日)

足柄山中の天狗棲む寺へ(8)

B15030701

明治三十六年刊行の「妙覚道了大薩埵御縁起」は、
現在、国会図書館のデーターベースに在り、ダウンロードして、
閲覧することが出来る。
最盛期を迎えた「道了信仰」に当て込んだ参詣者向けの、
小ハンドブックと云うべきもので、近隣の旅館や土産物の、
広告なんかも載っていて、往時の空気がよく伝わってくる史料だ。
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幾つかの霊験譚が引用されているが、
中でも興味深いのは、元和年間(1615~24)成立の、
「北条五代記」=「小田原北条記」の記述であろうか。
筆者所持の同本の原典から、紹介してみる。
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…永禄三年(1560)八月、北条氏康は、国境の足柄城修築を、
 企て、足柄峠一帯を巡視したが、その際、麓の関本宿に、
 立ち寄り、大雄山・最乗寺を参詣した。
 この寺の開山・了庵和尚は、曹洞宗の開祖・道元より、
 五代の法孫である。関八州、奥州に至るまで全ての末寺が、
 輪番で住持となり、七堂伽藍が整備された。
 了庵和尚の弟子に「道流」(道了の誤りか)と云う者がいた。
 この男は我が強く、悪賢くて、大力であったが、
 「生きながら天狗になり、当山を守護しよう」と願をかけた。
 日々修行を重ね、果たして天狗となってこの山に棲んだ。
 寺僧が殊更に言上するに、
 「今も、悪法を説く住持が居れば、きっと示現し、
  妨げを為すのは必定」であると。
 氏康の供の者たちは、
 「今の世に、このような不思議なことがあろうか。
  その天狗と云うのも、獣の類ではないか」などと囁き合った。
 すると俄かに大風が吹き起って、木々をなぎ倒し、
 堂舎の門戸を激しく叩き揺さ振り、落雷があった。
 「あわや天狗に浚われるか」と驚き怖れない者は無かった。
 氏康も「晴れた空がたちまちこうなるのは、
 まこと、天狗の仕業に相違ない」と、
 爾後、当山を尊崇し、伽藍を再興したと云うことだ…
「山伏」出身の「道了」に対する、ある意味、如何にも中世的な、
忌憚の無い観方も窺えて、面白いと想う。
B15030704
さて、大雄山・最乗寺の最深部「奥之院」へ向かおう。
さらに「冠木門」が構えられ、厳重な「結界」を感じる。
(捨身 Canon G1X)

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