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2015年4月 5日 (日)

足柄道を辿る(22)

B15040401

関本宿、境界付近の足柄道は、なだらかな坂道が続く。
路傍に地蔵が祀られていた。
B15040402
「白地地蔵」或いは「化粧地蔵」(けわいじぞう)と呼ぶ。
安産と授乳に霊験ありとかで、
願が叶うと、地蔵の御姿に、うどん粉を塗る習いが伝わる。
だが伝承には、もっと深い由来が付きものだ。
実は、このなだらかな坂道を、遅くとも、室町期頃までには、
「化粧坂」(けわいざか)と呼んでいたらしい。
鎌倉はもとより、各地に今も残っている地名である。
B15040403
何故「化粧坂」と云うのか、その所以については、
諸説別れた儘で、よく判らない。
坂上か坂下に、遊女たちが集住したからとか、
近くに刑場があって、首を化粧したからだとか、
いずれも、中世世界の境界地特有の事情は押さえているわけで
当らずと雖も遠からずなのだが、決め手を欠く。
ただ、中世の都市的な場の、境界地に多く観られる、
特徴的な地名と謂うしかない。
一寸した研究テーマに相応しいのは確かだろう。
B15040404
此処でも、中世の五輪塔や宝篋印塔の残欠群が、
並べられていた。
(捨身 Canon G1X)

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