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2015年4月 9日 (木)

足柄道を辿る(26)

B15040801

当地へ移された時期ははっきりしない。
一説に南北朝期とも云うが、
おそらく中世世界であったことは、動かないのではないか。
筆者としては、足柄城を縄張りした天文初年頃(1530~)
移動させる必要が生じたのではないかと考える。
この場所が選ばれたのも、十分に由緒があってのことだろう。
つまり、関本宿の境目と出口に当り、
本来は「関」が在って、しかるべき立地なのである。
設置されたのが、此処であったとすれば、
合点が往くことが出てくる。
例えば、それまで「坂本駅」であったのが、
文字通り「関」の直ぐ下の宿と云うことで、
「関本宿」と呼ばれるようになった由縁も頷けるわけだ。
B15040802
慶応二年(1866)再建の本殿と拝殿は、
かなり大きく立派なのだが、神職が常駐でないらしく、
地元の氏子の方々が管理しているようだ。
B15040803
境内には石造物が多い。
これは合祀された石祠類だろうか。
B15040804
最近になって、作り直されたものだろうが「道祖神」も残っている。
前述の筆者の仮説を、多少なりとも、補強すると想うのだが。
(捨身 Canon G1X)

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